大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

山口地方裁判所下関支部 昭和36年(わ)175号 判決

被告人 谷本典彦 外二名

主文

被告人谷本典彦同山本馨同嶋野勝己をいずれも懲役三月に処する。

但し、右被告人三名に対し、この裁判確定の日からいずれも二年間右各刑の執行を猶予する。

訴訟費用のうち、証人高田謙吉(第七、八回公判)同中川秋雄(第一二回公判)に支給した分のうち二分の一は右被告人三名の連帯負担とする。

理由

一、事件の概要

昭和三六年五月支部組合は賃金値上げ、労働協約の改訂、労働条件に関する三要求等をめぐつて会社側と激しい対抗関係にあり、事態を重視した私鉄総連では三橋副委員長らを下関市に派遣し、統一指導委員会を設け、支部組合をその指導下に置き、会社側と熱心に団交を重ねると共に、交渉決裂に備え、争議態勢を整えつつあつた。

かかる情況下で、支部組合は争議組織作りの一環として、山電小月営業課における支部組合側争議態勢の責任者に同営業課支部組合委員であつた被告人谷本を指定し、合せて常駐体制がしけるような連絡場所を設定せよとの指令を発し、谷本はこれに基づき、五月二五日下関市小月町茶屋所在一平旅館の二階(田口八重子経営)を右目的のために借り受けた。

その頃私鉄中国尾道鉄道支部では私鉄中国本部からの支部組合争議支援要請により、山本委員長が支援要員として、和田繁美外五名の労組員を連れて二七日午前中小月に到着、小月地区における山電共闘関係の責任者であつた角野十治を訪ね、長門鉄道従業員新田淳夫の案内で一平旅館に入り休息、やがて右角野をはじめ、支部組合ストライキ突入という情報を聞いた国鉄労組員約一〇名位や、長鉄労組から吉本敏彦はじめ約一〇名位の支援要員が次々と一平旅館に集まり、午後一時頃には支部組合員約三、四名もこれに加わり総員約三〇名ぐらいとなつた。同一時二〇分頃被告人谷本は争議関係の正確な情況把握のため、角野に統一委への連絡方を指示したところ、統一委統制部からは、大体各地共ストに突入している。小月地区も直ちにストに入れ、との指令が発せられた。

そこで右谷本は、一平旅館に集結していた労組員にバス確保について諮りバス確保には協力出来ないと主張した国労側を除いた者の了承を得た。そこで直ちに谷本は国労側を除く角野、和田、吉本ら総員約二〇名位と一緒に山電バスを確保すべく一平旅館を出発、一団となつて国道に出て、何処でバスを確保するという具体的方法をいまだ決めることなく、被告人谷本と角野が先頭に立ち一まず小月営業課に向つた。

その途中同町枝村運動具店付近で、同日午後からの出番で、午後一時三〇分頃小月営業課に出勤し、そこで会社側山本係長らからストライキが既に始まつているから出勤に及ばないと云い渡され右国道上を宇部市方面に向い歩いていた被告人山本馨、同嶋野勝己が谷本らの右一団と出会つて、これに合流した。

丁度その頃、山電下関・仙崎間定期路線の運行に当つていた山労員藤田哲治が山電バスを運転し、小月営業課に到着、このまま下関市に向つたのでは支部組合側にバスを確保される虞があるところから、右山本係長は藤田に対し、かねて予定していた美禰市豊田前町所在山陽無煙に担当バスの分散回送を指示し、藤田は、同営業課で乗客を降ろし、運行を打切り、右指示に従い午後二時頃山陽無煙に向け出発した。途中角野らの右一団を目撃した藤田は、バス確保を避けるべく時速五〇キロ位にスピードを上げ、やがて右バスを発見し、確保しようとして道路中央付近に出て手を上げ、バスを停車させようと計つた角野らめがけて進行、その直前に至りジクザク運転を強行して角野らを、くもの子を散らすように道の両側に退避させ、こうして藤田は角野らのピケラインを難なく突破した。

一方藤田にしてやられた角野らは、藤田の仕打に激昂し、そのうち「山電の課長が人間の一人や二人は轢き殺ろしてもええから逃げろ、責任は会社が持つ」と指示している等と云い出す者もあつて、角野ら一団の者は益々怒りをあおられ「そんな無茶なことを云うのなら、こつちもこつちでやつちやる、まともなことをしたんでは停まりやせんから、皆が道の真中に出て妨害しちやろう。」と口々に云い出して気勢にわかに揚り、小月営業課にはバスは一台も居ない、との報告から営業課に行くのを取止め、藤田の例にかんがみ、バスがどうしても減速しなければならない小月郵便局前交差点に場所を移したが、間もなく来た山電バスは、関門急行バスの直ぐ後ろに従つて運行していたため、角野らはピケラインを張ることが出来ず、同処も余り町の中心すぎて適当でないと云うことで、更に国道二号線上を同所から約五〇メートルぐらい宇部市方向に寄つた小月消防仮機庫付近に移動し、その付近で道の両側にバラバラの状態で待機、被告人谷本と角野は長門鉄道からの支援労組員村本外一名ぐらいをバス見張りとして小月郵便局付近に派遣し、被告人谷本、同山本、同嶋野らは同消防仮機庫付近にいて見張りからの合図を待受け、この間右ピケ要員の間では、たまたま長門鉄道敷地跡に檜丸太一本が転ろがされているのを発見し、会社側が右のような乱暴なことを云つているのなら、この丸太を持出して車を停めようか等といつた話が交わされていた。ところで、同日山電小野田営業課所属山労員高田謙吉は車掌中村寿徳乗務の山電バス山二あ五〇一号車を運転し国鉄小野田駅前午前六時三五分始発宇部経由国鉄下関駅行き定期バス運行に従事していたが、午後一時すぎ頃下関市所在唐戸停留所に着いたところ、同所案内係からこれから先の運行は不可能であるから引き返すよう指令され、乗つていた約三〇人の乗客に事情を説明して下車して貰い、直ちに、前以つて定められていた分散地第二藤山炭坑への廻送に移り、午後二時すぎ頃時速三〇キロぐらいの速度で小月郵便局前交差点を通過して被告人らの待受ける右消防仮機庫付近にさしかかつた際、被告人らによつて犯罪事実記載のようにして進行を阻止され、右バスを確保された。

そしてその頃車内に入つて来た和田は、自分以外に五〇一号車を運転出来る者はないと判断し、高田に代わつて運転席に着き、車が道路中央付近に停まつて交通の妨げとなる虞があるから道路左側に寄せるようにとの被告人谷本の指示に従い、二、三〇メートル前進させ道路左側に寄せて停車させたが、丁度その頃バスが来たぞという声がして乗車していたピケ隊員らは和田、被告人嶋野ら二、三の者を残して下車し後方に走り去つた。和田は、それから車内に留つていた者の方向を変換しようという指示によつて約四、五〇〇メートル進行し旧競馬場入口で方向を変換し元の場所に向い、長門鉄道敷地跡から一五、六メートル手前のガソリンスタンドの前で車を停めた。

その直後、高田は後部左側窓から、中村は乗降口から被告人嶋野らの隙をみて脱出逃走した。

一方、小月営業課操車係の山労員中川秋雄は同日正午すぎ頃小林小月営業課長から、下関市長府町前八幡で子供を跳ねる事故を起こした山電バス山二あ五〇号車を長府町まで受取りに行くよう命ぜられ、同所におもむき、車体検査証は、長府警察署の指示で同署に預け、同署から運行許可だけを得て、午後二時頃五〇号車を運転して小月営業課に帰つたところ、小林課長から更に分散地下関市吉田町湯谷まで回送するよう指示され、車掌千羽幸夫を乗せて、同二時すぎ小月営業課を出発し吉田町に向つた。途中小月郵便局前交差点をすぎやや前進した地点で道路右側約五〇メートル位前方に約一〇名ぐらいのピケ隊を発見したが、そのまま時速三〇キロぐらいのスピードで進行し、長門鉄道敷地跡一〇メートルぐらいの場所に来たとき、被告人らにより、犯罪事実記載のようにして五〇号車を確保されたが、このとき、被告人谷本は五〇号車に乗込みピケ隊員を降ろし、被告人山本に運転を指示し中川、千羽を乗せ、右競馬場まで行き、方向を変えて下関市に向い、途中、小月営業課に至る交差点付近で中川、千羽を降ろして小月営業課に帰し、五〇号車を山電東駅に回送し、支部組合車輛係に渡し、再び右消防仮機庫付近に帰つた。その頃五〇一号車は長門鉄道敷地跡に入れてあつたが間もなく闘争本部からの指示で五〇一号車に乗つて全員東駅組合本部に引揚げた。

二、罪となるべき事実

被告人三名はいずれも支部組合に所属(当時)し同組合の三六春闘に際しその争議に参加していたものであるところ、支部組合に有利な争議態勢をしくため、支部組合員及び争議支援の私鉄中国尾道鉄道支部並びに同長門鉄道支部組合員ら約二〇名位と共謀のうえ、山労所属の自動車運転者が運転中の山電所有のバスを停車させて確保し支部組合の支配下にある東駅構内に移送しようと企て、

第一、昭和三六年五月二七日午後二時頃下関市小月町一〇九七番地付近小月消防仮機庫地先の国道上において、角野、和田外数名の者が山電自動車運転者高田謙吉が会社の指示により、下関方面から小野田方面に向け運転進行中の山電バス山二あ五〇一号車の進路前方に立塞がり、同時に共謀者数名の者が長門鉄道旧鉄道敷地跡空地にあつた長さ約六、一五メートル直径約〇、二メートルの檜丸太(昭和三七年押第五六号の一)を抱え出して右進路前方に横たえてこれを停車せしめ、被告人谷本ら数名の者が右バスの乗降口扉を叩いて開けるよう促し、和田が右バス前部空気蓋の処から高田に向い降りて来いと叫んでいる間に、被告人嶋野が右バス前方左側窓から車内に乗り込み、乗降口扉を開け、右扉付近にいた数名の者が一斉に車内に乗り込み、高田に向い、交々「車体検査証を出せ」とせまり、或る者は同人の腕に手をかけ運転席を立つよう促すなどし、同人をその意に反して運転席から立退かせて同人のバス運転を不可能ならしめてこれを確保し、もつて威力を用いて会社のバス運行業務を妨害すると共に右高田の自動車運転業務を妨害し、

第二、更に同日午後二時すぎ頃前同所において、山電自動車運転者中川秋雄が会社の指示に従い山電バス山二あ五〇号車を運転して下関方面から小野田方面に向う途中を発見するや、角野、吉本ら数名の者がその進路前方に立塞がり、同時に外数名の者が右丸太の端をもつて半円を描くようにして、その前方に横たえ、右バスがその丸太を乗り越え進行しようとするや、被告人谷本が「人をはねた止れ止れ」と叫んでこれを停車せしめ、被告人山本は運転手席横窓から車内に立ち入ろうとしてまず足を入れ中川と争つている間に、支援労組員のスエカネが右バス前方左側窓から車内に乗り込み、乗降口扉を開け、乗降口周辺にいた支部組合側労組員数名が直ちに乗り込み、右中川に向い交々「車体検査証を出せ」と迫り、同人をして運転席から立退くことを余儀なくさせ、同人のバス運転を不可能ならしめてこれを確保し、もつて威力を用いて会社のバス運行業務を妨害すると共に右中川の自動車運転業務を妨害し、

たものである。

三、証拠の標目(略)

四、法令の適用

被告人谷本、同山本、同嶋野の判示所為中第一の会社及び高田の各業務妨害並びに第二の会社及び中川の各業務妨害の各所為はいずれも刑法六〇条二三四条に各該当するところ、判示第一、第二の会社の業務妨害の所為は包括して一罪であり、これと高田、中川の各業務妨害については、それぞれの関係において観念的競合の関係にあるので同法五四条一項前段、一〇条により結局以上を一罪として犯情最も重いと認める高田に対する威力業務妨害罪の刑で処断することにし、所定刑中懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人谷本、同山本、同嶋野をいずれも懲役三月に処し、諸般の情状に鑑み、それぞれ同法二五条一項を適用して、この裁判の確定した日からいずれも二年間右各刑の執行を猶予し、訴訟費用のうち証人高田謙吉(第七、八回公判)同中川秋雄(第一二回公判)に支給した分のうち二分の一は刑事訴訟法一八一条一項本文一八二条により、被告人谷本、同山本、同嶋野の連帯負担とする。

五、当裁判所の判断

弁護人の主張に対する判断

高田、中川両名のバス運転行為は会社側の支部組合に対する争議対抗策としての車輛分散の指示によるものであつて、会社の業務であるバス運行には無関係のものであり、争議対抗としての分散のための運行には業務性はなく刑法二三四条によつて保護さるべき業務に該当しないとの主張について

高田、中川両名のバス運転が会社側の計画した分散のための運行であつたことは前認定のとおりであるが、その分散の意図が終局的には車輛を確保して操業に備えるためのものであつたことは否み難く、当面の目的はスト突入時における労使双方によつて戦わされるバス確保闘争に勝利を得るためのものであり、その限りにおいては、組合側の争議行為に対する対抗行為といわなければならない。争議が労使双方の力による拮抗である以上会社が対抗行為をとり得ることは当然であるけれども、その場合当面の対抗行為が凡て業務性を持つものではないことは弁護人所論のとおりであり、それが業務と云いうるためには、当該行為が業務としての属性を有することを必要としすなわち、対抗行為が業務としての範疇の行為で双方の性格を兼有しておつた場合は格別一般的には、右のごときものでない以上業務性を持つものではない。

しかして、前認定の如く、会社側の本件運行は業務のための運行を打切り、或いは運行の意図のない車(五〇号車は事故車で運行に必要な車検証がない。)を分散の目的で運行させていたもので、かかる分散行為そのものは争議の関係においては、会社の本来の業務たる一般旅客自動車運送業の執行という範疇には属しないものと解されるが、車輛分散は争議中における運行継続のため、会社側の手にバスを確保しておく目的をも持つてなされたものであることは否み難く、そうしてみると分散行為は会社の右運送業を営む者という地位に基き、争議中右運送業を営むための準備行為或いは予備的一手段としてなされたものと云うべきで、かかる行為は右運送業の執行に密接な関係を有するものと解するのが相当である。

被告人らの本件所為は平和的ピケツトの範囲内であり違法ではないとの主張について

弁護人主張のとおり高田、中川らが本件丸太によつて停車させられたものでないとしても、右丸太の搬出は判示被告人らのその他の各行為と一体となつてバスの運行阻止という一個の社会的事実を形成したものに外ならず、丸太の持出し行為のみを独立に取り出し、その法的評価をなすことは妥当なものとは云い難い。

さて、司法警察員中野茂美作成の昭和三六年五月二七日付実況見分調書によつて明らかなように、本件現場は、国内を縦断する幹線道路の一部、すなわち国道一号線に連なり、中国地方を縦断し、国道三号線と結ぶ我が国における道路交通の大動脈ともいうべき最も重要な国道二号線上であり、車輛の輻輳する公道であつて、かかる公道上を通行中のバスの運行阻止は、直ちに他の通行車輛の運行を阻害し、通行の安全性を損う虞の極めて大きい危険な行為であつて、車輛確保そのものが、適法な場合があり得るとしても、かかる場所における現実の車輛確保行為は、それが争議権に基き一般に合法とされる説得による確保の目的でなされたからといつて、争議権も無制限の権利ではなく、公共の福祉のためには相当の制約を受けることは既に幾多の判例の説示するところであり、本件国道における交通の潤滑・安全が公共の福祉に属することは云うまでもないことでこのような公道上におけるバスの運行阻止を図る争議行為は右趣旨に鑑み許容される正当性の範囲を逸脱し違法な所為であるというほかはない。

しかも、本件阻止の態様は、檜丸太(三七年押第五六号の一―昭和三六年(わ)第一七五、二二二号事件―)が前示のように突如持出されたもので、(本件に供されたのが右丸太であることは中野茂美五、六回証言並びに同人作成の右実況見分調書及び領置関係記録により認める。)これを乗越えた中川運転の五〇号車は激しい振動を起こし、車輪によつて揺れ動いた右丸太は角野、吉本両名の足を跳ね、転倒せしめていることからしても、その危険性は否定し得ぬところであり、五〇号車五〇一号車が丸太のために停止するの余儀なきに至つたと否とを問わず、また、被告人らの仲間が丸太を持ち出すに至つた直接の動機が前示藤田のジグザグ運転にあつたことは推察し得るが、これを考慮に入れても、かかる行為は許容されるピケツトの範囲を逸脱した不法な実力の行使といわざるを得ない。

本件丸太の持出しについての共謀の成否について

確かに五〇一号車については、丸太を持ち出して阻止することを共謀した事実を証する適格な証拠はないが、前叙の如く、丸太持出しは長鉄敷地跡にたむろしていた者の間で話題となつていたもので、被告人ら三名はいずれも右敷地跡やその周辺にいたことは証拠上明らかである。してみると、丸太が持ち出されたことは決して被告人らにとつて予想外の出来事ではなかつた筈であり、五〇号車の場合は、さきに丸太が持ち出された事実のあつたことから、又同様丸太が持ち出されることについての予想はより確かなものがあつた筈であるのにこれを阻止した事実の認められないことからすれば、被告人らにおいてもこれを容認していたものと推認される。そうしてると、バス確保についての共謀が認められる限り、確保の個々の手段についてまで共謀の事実が認められる必要みはなく、右主張は失当である。このほか弁護人は、他の確保の手段に論及し、いずれも合法的なピケツトの範囲内であると主張しているところ、本件バス確保そのものが違法であること前示のとおりであるから、更に、これらについて判断する必要はないものと認める。

次に、中川、高田の業務についてであるが、中川の会社における本来の業務が操車係りであつたことは所論のとおりであるけれども、操車係りがバスを運転することは決して例外的なことでなかつたことは中川一二回証言によつて明らかである。

しかして、車輛の運転行為そのものは会社の命令に基づくと否とを問わず、一般的に存在する車輛運転者としての社会的地位に基づき継続してなされるもので、それが濫りに阻害されることなく、安全に遂行されるよう保護されるに価するものであることは云うまでもなく、右が刑法二三四条にいう業務に含まれることを否定する理由はない。ただ争議の関係においては、右運転が会社の業務の執行という面を有しているため、正当な争議権の行使の場合は正当行為として違法性が阻却されるに過ぎないものというべきである。

よつて、弁護人の主張はいずれも採用しない。

よつて主文のとおり判決する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例